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仙台地方裁判所 平成2年(ワ)339号 判決

主文

第一  本訴請求について

一  被告らは、それぞれ、原告佐藤ちよに対し、昭和六三年七月七日遺留分減殺を原因として、別紙物件目録2の不動産につきその持分四分の一のうち一億三八三五万六〇〇〇分の五五一万八〇九二、同目録5の不動産につきその持分四分の一のうち一億四九一六万分の五九四万八九九一の各持分一部移転登記手続をせよ。

二  被告らは、それぞれ、原告佐藤政子に対し、昭和六三年七月七日遺留分減殺を原因として、別紙物件目録2の不動産につきその持分四分の一のうち一億三八三五万六〇〇〇分の一七三万七四三四、同目録5の不動産につきその持分四分の一のうち一億四九一六万分の一八七万三一〇八の各持分一部移転登記手続をせよ。

三  原告らのその余の本訴請求をいずれも棄却する。

第二  反訴請求について

反訴原告の反訴請求をいずれも棄却する。

第三  本訴請求及び反訴請求について

訴訟費用は、本訴・反訴を通じて、これを一〇分し、その六を原告ら、その余を被告らの各負担とする。

事実

(以下において、当事者の呼称については、原告・反訴被告佐藤ちよを「原告ちよ」、被告・反訴原告佐藤隆を「被告隆」といい、その余の当事者は氏を省略していうこととする。)

第一  請求

【本訴請求】

一  被告らは、それぞれ、原告佐藤ちよに対し、昭和六三年七月七日遺留分減殺を原因として、別紙物件目録2の不動産につきその一億三八三五万六〇〇〇分の一六一一万一五二一、同目録5の不動産につきその一億四九一六万分の一七三六万九六四四の各持分の所有権移転登記手続をせよ。

二  被告らは、それぞれ、原告佐藤政子に対し、昭和六三年七月七日遺留分減殺を原因として、別紙物件目録2の不動産につきその一億三八三五万六〇〇〇分の八四七万七七八三、同目録5の不動産につきその一億四九一六万分の九一三万九七九九の各持分の所有権移転登記手続をせよ。

【反訴請求】

原告ちよは、被告隆に対し、二一三五万八〇〇〇円及びこれに対する平成五年五月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  双方の主張

【本訴請求原因】

一  当事者の身分関係及び遺産の形成等

亡佐藤誠治(以下「誠治」という。)及び原告らの身分関係及び財産形成の過程等は、次のとおりである。

1 原告ちよは、昭和一四年東京で誠治と結婚し、昭和一九年一二月誠治が出征したため、長男の被告隆及び長女の原告政子を連れて宮城県宮城村の愛子に疎開してきた。そして、終戦後の昭和二〇年一二月には、誠治も愛子に帰って来た。

2(一) 誠治は、昭和二一年四月北海道に出稼ぎに行き、昭和三三年九月に愛子に戻ってきたが、その間、別紙物件目録1ないし5、7の各土地(以下同目録記載の土地を「目録1の土地」、「目録2の土地」などという。)を購入した。

(二) 原告ちよは、誠治が北海道に出稼ぎに行っている間、同人からの仕送りは微々たるものであったため、二本松の土地や本木前の土地を開墾して農業を営んで生計を維持し、かつ、土地を管理し、昭和二二年五月に誕生した二男の敬貴(昭和四九年一一月死亡)を含めた三人の子供の養育のため、昼夜の別なく働いた。

3(一) 誠治は、昭和三三年九月北海道から戻ってきたが、それからまもない同年一二月、愛子の家を出て仙台で女性と同棲するようになり、以後昭和六二年八月に死亡するまでの二九年間、終に愛子に住む原告ちよのもとには戻らなかった。

(二) 原告ちよは、生計維持等のため自分の体に鞭打って農業に勤しみ、一人で耕作を続け、農業で得た収入をこつこつと蓄え、それを資金に昭和三八年から昭和三九年にかけ、目録13、14、11、12の土地を購入した。

(三) しかし、原告ちよは、その過労と心労が積み重なって、昭和四九年二月末病に倒れ、六か月間の入院加療を余儀なくされた。原告ちよは、退院後、右半身不随の体を労りながら、最近まで農業を営んでいた。

4(一) 原告政子は、昭和三七年三月高校を卒業し、同年四月長谷柳絮学校に入学し、昭和三九年四月から同学校に就職し、給料を得て生活の一助としていた。原告政子は、わずかな金額ながら長谷柳絮学校から得ていた給料の一部をこつこつと蓄え、また、和裁仕立ての内職やデパートの店員に対する出張授業の手当てに退職金等を加えたものを資金として、昭和四七年には那須に目録15の土地を購入することができた。

(二) しかし、原告政子は、昭和四九年三月に母の原告ちよが入院して以降農業収入が減り、また、昭和四七年三月に長谷柳絮学校を退職していたこともあって、生活に困窮するようになり、退院直後で身の回りのこともできない状態の原告ちよを一人家に置き、昭和五〇年三月からゴルフ場に勤務するようになったほか、昭和五二年一一月から自宅で和裁教室を開き生計を維持するようになり、現在に至っている。

5(一) 他方、被告隆は、昭和三五年四月新潟大学医学部に入学し、昭和四一年三月に卒業し、東京、次いで千葉県で医師として就職したが、昭和四八年秋ころ愛子に戻ってきたものの、すぐに大河原町の借家に住居を構えて大河原町立病院に勤務するようになった。

(二) 被告隆は、昭和四三年八月ころから昭和四八年一二月ころまでは、生活費の一部として月々二万円を原告ちよのもとに送金してきた。そして、被告隆は、昭和四九年五月、誠治から結婚費用のほぼ全額である三〇〇万円程を負担してもらって、結婚した。被告隆は、昭和五一年四月には、現在地に医院を開業したが、医院建設の費用等の一部として誠治から約一〇〇〇万円を拠出してもらった。

二  遺留分減殺請求の割合等

1 相続関係

誠治は、昭和六二年八月二〇日仙台市において死亡した。その相続人は、妻である原告ちよ、長女である原告政子及び長男である被告隆である。誠治の二男敬貴は、昭和四九年一一月五日死亡しており、かつ、同人には子供はいない。

なお、被告恭子は被告隆の妻であり、同峰成及び同繁久は被告隆と被告恭子との間の子供らである。

2 相続財産及び生前贈与

(一) 誠治は、生前多数の不動産を所有していたが、被告らに対し、次のとおり、贈与した。

(1) 目録1、3、6の各不動産については、昭和五三年一〇月一六日被告隆を除くその余の被告らに対し贈与し、仙台法務局昭和五三年一〇月二六日受付第七〇八八号をもって所有権移転登記を経由した。

(2) 目録4の不動産については、昭和五三年一〇月一六日被告隆に対し贈与し、仙台法務局昭和五三年一〇月二一日受付第五五〇五号をもって所有権移転登記を経由した。

(3) そして、目録2、5の各不動産については、昭和五四年一月一六日被告らに対し贈与し(被告らの持分はそれぞれ四分の一ずつ)、仙台法務局昭和五四年一月二二日受付第四八三二号をもって所有権移転登記を経由した。

(二) 誠治及び被告らは、右の各贈与の際、当該贈与が原告らの遺留分を侵害することを知っていた。

3 遺留分算定の基礎となる財産

遺留分算定の基礎となる財産は次のとおりであり、その合計金額は一億九九四一万八〇〇〇円となる。

(一) 誠治が被告らに対し贈与した目録1ないし6の土地 一億六一七三万五〇〇〇円

(二) 誠治が原告ちよに対し贈与した目録10の建物 一七五万四〇〇〇円

右建物は、目録2の土地上にある建物で、原告らが現在居住している。なお、付属建物である倉庫は目録1の土地の一部に建っている。

(三) 相続開始時に遺産として残存していた目録7ないし9の土地 二一九二万九〇〇〇円

(四) 被告隆の特別受益 一四〇〇万円

誠治の相続人らのうち被告隆は、次のような特別受益を得ている。

(1) 大学教育(一〇〇万円)

原告政子は大学に進学しなかったが、被告隆は、大学に進学しているので、大学進学によって誠治から受けた援助は、特別受益である。その金額は、昭和三五年四月から昭和四一年三月までの七一か月間月平均一万円の仕送りのほか、顕微鏡・医学書・タイプライター二台・テープレコーダー等の購入費用など三〇万円弱があり、合計で一〇〇万円に達する。

(2) 結婚式(三〇〇万円)

被告隆は、誠治から、結納金・結婚式の費用等一切として、招待客からの祝儀分を差し引いても、三〇〇万円の援助を受けている。

(3) 医院開業時の援助(一〇〇〇万円)

被告隆は、誠治から、医院を開業するについて、設計費用・塀植木等の費用・上棟式費用・記念品費用等として一〇〇〇万円の援助を受けている。

4 侵害された遺留分

(一) 誠治が死亡したことにより相続人らが相続した相続財産の価額は、前項記載の3及び4の合計三五九二万九〇〇〇円であり、原告ちよはその二分の一である一七九六万四五〇〇円、原告政子はその四分の一である八九八万二二五〇円、被告隆は同じく四分の一である八九八万二二五〇円をそれぞれ相続することになる。

しかるに、被告隆は、前述のとおり、相続分を超える前記特別受益を受けているので、新たに相続分を受けることができない。したがって、原告ちよの相続分は、本来の相続分一七九六万四五〇〇円から、被告隆の相続分を超える五〇一万七七五〇円(被告隆の特別受益額一四〇〇万円から同被告の本来の相続分八九八万二二五〇円を差し引いた金額)の三分の二である三三四万五一六六円を差し引いた一四六一万九三三四円となり、原告政子の相続分は、本来の相続分八九八万二二五〇円から、被告隆の相続分を超える五〇一万七七五〇円(前同)の三分の一である一六七万二五八三円を差し引いた七三〇万九六六七円となる。

(二) 遺留分算定の基礎となる財産は、合計一億九九四一万八〇〇〇円であるから、原告ちよの遺留分はその四分の一である四九八五万四五〇〇円、原告政子の遺留分はその八分の一である二四九二万七二五〇円となる。

(三) したがって、原告ちよが侵害された遺留分は、右遺留分から相続分一四六一万九三三四円及び贈与を受けた一七五万四〇〇〇円を差し引いた三三四八万一一六六円、政子が侵害された遺留分は右遺留分から相続分七三〇万九六六七円を差し引いた一七六一万七五八三円となる。

5 遺留分減殺の対象となる不動産

遺留分減殺をすべき不動産は、一番後の贈与から始めるため、目録2、5の各不動産がまずその対象となる。そして、右不動産に対する贈与は、同時に行われているから、割合減殺となる。

そこで、原告らの侵害された遺留分を目録2、5の各不動産にその価格比(二四五八万九〇〇〇円対三七二九万円)で割り当てると、次のとおりとなる。

(一) 原告ちよについて

目録2の不動産につき 一六一一万一五二一円

目録5の不動産につき 一七三六万九六四四円

(二) 原告政子について

目録2の不動産につき 八四七万七七八三円

目録5の不動産につき 九一三万九七九九円

6 所有権移転登記手続を求める持分

そこで、これを各被告の持分(四名が各四分の一の持分)に応じて割り振った場合、各原告が各不動産に対して有する前記割り当て分を当該不動産の価格に四(共有者の数)を乗じて得られた金額で除して得られた割合が、各原告が各不動産に対し遺留分減殺請求権行使によって取得すべき持分ということになる。

したがって、各原告が各被告に対して所有権移転登記手続を求める持分は、次のとおりとなる。

(一) 原告ちよについて

目録2の不動産につき一億三八三五万六〇〇〇分の一六一一万一五二一

目録5の不動産につき一億四九一六万分の一七三六万九六四四

(二) 原告政子について

目録2の不動産につき一億三八三五万六〇〇〇分の八四七万七七八三

目録5の不動産につき一億四九一六万分の九一三万九七九九

三  遺留分減殺請求権の行使

原告らは、被告らに対し、昭和六三年七月七日、原告らの遺留分に対する被告らの侵害について、減殺請求権を行使する旨の意思表示をした。

四  結論

よって、原告らは、被告らのそれぞれに対し、遺留分減殺請求権に基づいて、次のとおりの判決を求める。

1 原告ちよに対し、昭和六三年七月七日遺留分減殺を原因として、目録2の不動産につきその一億三八三五万六〇〇〇分の一六一一万一五二一、目録5の不動産につきその一億四九一六万分の一七三六万九六四四の各持分の所有権移転登記手続をすること

2 原告政子に対し、昭和六三年七月七日遺留分減殺を原因として、目録2の不動産につきその一億三八三五万六〇〇〇分の八四七万七七八三、目録5の不動産につきその一億四九一六万分の九一三万九七九九の各持分の所有権移転登記手続をすること

【本訴請求原因に対する認否】

一  当事者の身分関係及び遺産の形成等について

1 本訴請求原因一1の事実は認める。

2 本訴請求原因一2の事実のうち、誠治が目録1ないし5、7の各土地を購入した点は認めるが、その余の事実は否認する。

二本松の土地や本木前の土地の開墾は、原告ちよが誠治の親戚や誠治の職人を使い行ったものであり、農作業も誠治の親戚の力を借りて行っていた。

3 本訴請求原因一3の事実は否認する。

原告らは、目録11、12、13、14の各土地は原告ちよが自ら購入したと主張するが、右各土地は誠治がその資金で購入したものである。誠治は、昭和三六年ころから仕事が順調に推移し、土地を買う余裕ができ、そのころから次々と土地を買い求めて行ったのであり、右各土地も誠治が昭和三八年から昭和三九年にかけて購入したものである。

他方、そのころの原告らの生活は、日々の生活にも窮しており、昭和三八年から昭和三九年にかけて続けざまに原告ちよが土地など購入することはおよそ不可能な状況であった。

4 本訴請求原因一4の事実は否認する。

原告政子は、学校卒業後の三〇年間の中で、長谷柳絮学校に勤めた八年間とゴルフ場に勤めた一〇か月以外は、一人前に働かず、誠治や被告隆に頼りながらの生活であった。原告政子が昭和五二年一一月から自宅で始めたという和裁教室も名ばかりで、その収入は生計を維持するほんの一部にしかすぎなかった。

また、目録15の那須の土地については、目録11ないし14の各土地と同様に、誠治がその資金で購入したものであり、原告政子が購入したものではない。

5 本訴請求原因一5の事実については、被告隆の経歴の点を除き、すべて否認する。

被告隆は、原告ちよ及び原告政子に対し、昭和四二年四月から昭和六二年一二月まで(原告らに寄りつくことができなかった数年間を除き)、合計約一〇〇〇万円の生活援助をしてきた。

なお、被告隆が誠治から援助してもらった結婚費用と医院開業費用は、それぞれ二〇万円、五〇万円にすぎない。

二  遺留分減殺請求の割合等について

1 本訴請求原因二1の事実(相続関係)は認める。

2 本訴請求原因二2の事実(相続財産及び生前贈与)について

(一) 同二2(一)(1)ないし(3)の事実は認める。

(二) 同二2(二)の事実は否認する。

誠治及び被告らは、贈与を受けた土地がいずれも評価額が低く、また、他にも誠治所有の多くの土地が存在することから、右贈与時において原告らの遺留分を侵害することはないと信じていた。

なお、被告らは、目録7ないし9の不動産のみならず、目録10ないし15の不動産もまた、後述するとおり、誠治の遺産であると考える。

3 本訴請求原因二3の事実(遺留分算定の基礎となる財産)について

遺留分算定の基礎となる財産は、次のとおりであり、その合計金額は四億六〇四四万九〇〇〇円となる。

なお、前提として、遺留分算定の基礎となる財産の評価の基準日をいつにするかについては、遺産分割の場合と同様、遺産の具体的配分が公平にされることが指導原理となるはずであるから、遺留分を算定する時点における実際の取引価額によるのが正しい評価方法であり、本件においては現地点に最も近い平成四年四月一〇日時点の評価額によるべきである。

(一) 被告らの主張する遺産は、目録7ないし15の不動産であり、目録7ないし14の評価額一億二八一五万九〇〇〇円に目録15の土地の時価一〇〇〇万円を加算し、合計一億三八一五万九〇〇〇円となる。

(1) 目録7ないし9の不動産は、遺産であり、遺留分算定の基礎となる財産である。

(2) 目録10の建物について、原告らは、原告ちよが誠治から贈与を受けたと主張するが、誠治が税金対策のため自己名義で保存登記を経由していないことを奇貨として、原告ちよが昭和五四年に誠治に無断で原告ちよ名義で保存登記を了し、翌昭和五五年には原告政子に贈与したことにし、その旨の不実の登記を了したにすぎない。

右建物については、古い保存登記を抹消しないで、新しく保存登記を了しているが、これは、誠治に気付かれないように工作した結果である。

(3) 目録11ないし14の各土地について、原告らは、原告ちよが自ら購入した旨主張するが、当時ちよは毎日の生活にも窮していたこと、他方、誠治は仕事が順調で次々と土地を買い求めていた時期であることからすると、右各土地も誠治が購入したと推認するのが自然である。

確かに右各土地の登記簿上は原告ちよが購入したかのように記載されているが、誠治が作成した「不動産取得売却明細表」でも明らかなように、誠治は、税金対策として、自らの名義のみならず菅野みつ子や原告ちよの名義で取得したり売却したりした不動産についても、自分で税金を納めていたことからも裏付けられる。

ところで、右各土地の所有者が誠治であり、したがって、右各土地も遺産となるべきものであったとはいえ、右各土地は原告ちよによって勝手に処分されており、現在は第三者の登記名義になってしまっている。このような場合の遺留分算定の基礎となる財産の評価については、特別受益者の相続分算定に関する民法九〇四条(一〇四四条)と利益状況が似ており、同条とのバランスからしても、目的物が原状のまま存在するものとして計算すべきである。

(4) 同目録15の土地について、原告らは、原告政子が自ら購入した土地であると主張するが、右土地は、誠治が購入したものであり、登記上原告政子の名義を用いたのは税金対策上の便宜にすぎない。

ちなみに、右土地の売主である株式会社丸光が買主である誠治にあてて作成した売買代金四四〇万円の領収証、誠治が右売買代金支払のために仙台信用金庫から二四五万円の借入れをした際の受領書、昭和五九年六月誠治が右土地を売却しようとしたときの手付金の領収証、下刈り清掃代を支払ったときの領収証からしても、右の事実は明らかである。

また、原告らは、原告政子が長谷柳絮学校の給料の一部をこつこつと蓄えて右土地を購入したと主張するが、当時の公務員給与が高卒で月一万円程度であり、しかも、同学校の給料はわずかな金額であったというのであるから、同学校の給料をすべて貯蓄したとしても、四四〇万円もの大金を原告政子が準備できたとはとうてい考えることができない。

(二) 被告らが贈与を受けた土地は目録1ないし6の各土地であり、平成四年四月一〇日時点を基準とした評価額は二億八六九三万円である(民法一〇四四条、九〇三条参照)。

(三) 原告らが受けた生前贈与の合計は、次のとおり、三三八〇万円である。

(1) 原告ちよへの生前贈与 一四四〇万円

〈1〉 宝石、着物、バック類 六〇〇万円

〈2〉 象牙、仏壇、箪す等の持分二分の一 八四〇万円

(2) 原告政子への生前贈与 一九四〇万円

〈1〉 宝石、着物等 一一〇〇万円

〈2〉 象牙、仏壇、箪す等の持分二分の一 八四〇万円

(四) 原告政子の特別受益は、五〇万円である。

原告政子は、誠治から、長谷柳絮学校の授業料及び教材費として五〇万円の援助を受けているところ、和裁学校は特に教材費が高いのであるから、これは特別受益ということができる。

(五) 被告隆の特別受益 一〇六万円

(1) 大学教育(三六万円)

被告隆が誠治から大学教育費用として贈与を受けた金額は、年間六万円、合計三六万円であり、これを超えて贈与を受けていない。

顕微鏡は、被告隆が就職後自分で購入したものであるし(顕微鏡の保証書によれば、購入の年月日は被告隆が就職した後である昭和四三年九月二〇日とされている。)、タイプライターやテープレコーダーも、被告隆が就職した後自分で購入したものである。

(2) 結婚費用(二〇万円)

被告隆は、誠治から、結婚披露宴費用のうち祝儀代を差し引いた残額二〇万円の援助を受けているが、これを超えて援助を受けていない。

(3) 医院開業費用(五〇万円)

被告隆は、誠治から、医院開業に際して、塀の一部とその基礎代五〇万円の援助を受けている。その他は、被告隆が自らの負担において支出したもので、フェンス代の領収証、ブロック塀代の領収証、上棟・地鎮祭費の領収証、医院設計料の領収証は、いずれも現金出納帳に記載され、税務署に申告されている。

原告らは、誠治が被告隆に代わって多額の設計料を奥田建設に対し支払ったと主張するが、否認する。奥田建設は、誠治から設計料を受領した事実はないと回答している。

【本訴請求の抗弁】

一  寄与分の主張

1 被告隆は、誠治に対して生前金一六〇〇万円(昭和四九年から昭和五一年までの二〇〇万円と、昭和五二年から昭和六〇年までの一四〇〇万円の合計)もの生活援助と立替金を出資したばかりか、昭和五〇年ころ誠治の土地に一五〇万円を出資して造成したり、さらには、誠治の土地の固定資産税を支払うなど、誠治の財産の維持に多大の貢献をし、特別の寄与をしている。

2 そこで、被告隆は、原告らを相手にして仙台家庭裁判所に対し、既に寄与分を定める調停の申立てをしている。

3 被告隆の誠治の財産の維持に対する多大な貢献に鑑みて、その寄与分は三分の一とするのが相当である。

二  原告らの遺留分

1 被告隆の寄与分が三分の一とすると、原告らの遺留分減殺の基礎となる金額は、結局、四億六〇四四万九〇〇〇円の三分の二に相当する三億〇六九六万六〇〇〇円となる。

そして、原告ちよと原告政子の相続分を合わせると、四分の三であり、遺留分はその二分の一であるから、結局、原告らの遺留分は、三億〇六九六万六〇〇〇円の八分の三に相当する一億一五一一万二二五〇円となる。

2 ところで、原告らは、合計三三八〇万円の生前贈与を受け、また五〇万円の特別受益を受け、さらに、目録11ないし14の土地を勝手に処分してしまっているのであるから、原告らは合計一億一九七三万二〇〇〇円の利益を既に取得ないし処分したことになり、その額は、原告らの遺留分よりも、四六一万九七五〇円多いのであるから、何ら原告らの遺留分は害されていないばかりか、現存する相続財産(目録7ないし10の不動産)については、被告隆が取得するのが相当である。

【本訴請求抗弁に対する認否】

被告の本訴誠治に対する抗弁(寄与分の主張)は、争う。

【反訴請求原因】

一1  原告ちよは、目録11ないし14の各土地はいずれも原告ちよが購入した土地であると主張するが、右各土地は、いずれも、誠治が次のとおり購入したものである。

別紙物件目録 売買時期 売主 代金

11と12(一括) 昭和三九年八月二九日 澤口平蔵 金二五万円

13と14(一括) 昭和三八年一〇月五日 佐藤弘次 金一七万円

2  確かに、右各土地は、登録上は原告ちよが購入したかのように表示されているが、誠治は、税金対策上、妻である原告ちよその他の者の名義を用いて不動産を購入したり、売却したりしていたにすぎず、所有者はあくまで誠治であった。

3  原告ちよは、右各土地につき登記上所有者となっていることを奇貨として、次のとおり、右各土地を勝手に処分して買主に対し所有権移転登記を経由してしまったのであるから、右の行為は誠治に対する不法行為となる。

別紙物件目録 処分時期 相手方

11及び12 昭和六二年九月二八日 建設省

13 昭和六二年六月 九日 芳光商事株式会社

14 昭和六二年六月 九日 藤ガス株式会社

二  誠治は、昭和六二年八月二〇日に死亡し、被告隆は誠治の長男である。相続人は、ほかに妻である原告ちよと長女である原告政子がおり、したがって、被告隆の相続分は四分の一である。

三  平成四年四月一〇日時点において、目録11ないし14の土地の価格は、合計八五四三万二〇〇〇円であり、現在の時価も同様と考えられる。

四  よって、被告隆は、原告ちよに対し、不法行為責任に基づき、誠治の受けた損害八五四三万二〇〇〇円の四分の一である二一三五万八〇〇〇円及びこれに対する反訴状送達の翌日である平成五年五月二八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

【反訴請求原因に対する認否】

一  反訴請求原因一の事実について

1 同一1の事実のうち、被告隆主張の土地は、原告ちよが購入した土地であると原告らが主張していることは認めるが、その余の事実は否認する。

2 同一2の事実のうち、登記簿上の記載が被告隆主張のとおりであることは認めるが、その余の事実は否認する。

3 同一3の事実のうち、原告ちよが被告隆主張のような売買契約をし、かつ、所有権移転登記を経由したことは認めるが、その余の事実は否認する。

二  反訴請求原因二の事実は認める。

三  反訴請求原因三の事実は認める。

【反訴請求の抗弁】

一  被告隆が主張する原告ちよの不法行為が認められるとしても、右不法行為の時から既に三年間を経過している。

二  原告ちよは、右消滅時効を援用する旨の意思表示をした(原告らの準備書面である「反訴に対する答弁書」が陳述された平成五年七月二九日午前一〇時の口頭弁論期日)。

【反訴請求の抗弁に対する認否】

原告ちよの主張は争う。

被告隆が原告ちよの不法行為を知ったのは、本訴提起後のことである。

理由

第一  本訴請求に対する判断

一  当事者の身分関係及び遺産の形成等について

次の事実は、当事者間に争いがない(なお、証拠、弁論の全趣旨によって、若干補充認定した事実を含む。)。

1  原告ちよ(明治四四年三月八日生)は、昭和一四年東京で誠治(明治四四年一一月二一日生)と結婚し、昭和一九年一二月、誠治が出征していたこともあって、長男の被告隆(昭和一四年七月八日生)及び長女の原告政子(昭和一六年一一月二一日生)を連れて、宮城県旧宮城村の愛子に疎開してきた。そして、終戦後の昭和二〇年一二月には、誠治も復員し、愛子に帰ってきた。

2  誠治は、昭和六二年八月二〇日仙台市において死亡した。その相続人は、妻である原告ちよ、長女である原告政子及び長男である被告隆である。誠治の二男敬貴(昭和二二年五月二九日生)は、昭和四九年一一月五日死亡しており、かつ、同人には子供はいない。誠治は、菅野みつ子との間に子をもうけてはいない。

なお、被告恭子(昭和一九年三月二〇日生)は被告隆の妻であり、被告峰成(昭和四九年一一月二九日生)及び被告繁久(昭和五二年九月二日生)は、被告隆と被告恭子夫婦の子である。

3  誠治は、昭和二一年四月ころ北海道に出稼ぎに行き、昭和三三年九月に愛子に戻ってきたが、右出稼ぎに行く直前から愛子に戻るまでの間、次のとおり、目録1ないし5、7の各土地を順次購入した。

〈1〉 昭和二一年二月(登記は同年三月に経由)、目録1、2の土地を購入

〈2〉 昭和二二年五月(登記は同年六月に経由)、目録4、5の土地を購入

〈3〉 昭和二四年二月(登記は同年三月に経由)、目録3の土地を購入

〈4〉 昭和三〇年四月(登記は同年五月に経由)、目録7の土地を購入

4  原告ちよは、誠治が北海道に出稼ぎに行っている間、同人からの仕送りを受けていたが、足りなかったため、一部誠治の職人等の援助も受けて、昭和二四年には目録3の土地を、昭和二七年には目録4、5の土地などを開墾して田畑にし、これを耕作することによって、その生計を維持し、愛子で誕生した二男の敬貴を含めた三人の子供を養育し、三人の子供は、いずれも学業成績優秀で、母親・家族思いの子供として成長していった《一部につき甲二、乙四一》。

5  誠治は、前述のとおり昭和三三年九月北海道から戻ってきたが、それからまもない同年一二月、愛子の家を出て仙台で他の女性(菅野みつ子)と夫婦同様な生活をするようになり、晩年は同女との仲も冷めていったものの、以後昭和六二年八月に死亡するまでの二九年間、終に愛子で待つ原告ちよのもとには戻らなかった。

6  誠治は、さらに、次のとおり、目録8、6、9の土地を順次購入した。

〈1〉 昭和三六年一〇月(登記も同月に経由)、目録8の土地を購入

〈2〉 昭和三九年四月(登記は翌昭和四〇年一月に経由)、目録6の土地を目録3の土地の水路のために購入

〈3〉 昭和四三年一二月(登記は昭和四六年七月に経由)、目録9の土地を購入

二  遺産外不動産の取得等について

甲二、三、二七ないし三〇、三三ないし四六、六二ないし六五、乙九、一〇、一一1、2、一八、原告政子及び被告隆の各本人の供述(以上供述証拠はいずれも信用し得る部分のみ)、並びに弁論の全趣旨によれば、次のとおり認定判断することができる。

1  原告ちよは、生活維持等のため農業に勤しみ、親戚等の協力を受けながらも、一人で耕作を続け、農業で得た収入や親戚からの借入れを資金に、昭和三八年一〇月には目録13及び14の土地を佐藤弘次から代金一七万円で、昭和三九年八月には目録11及び12の土地を澤口平蔵から代金二五万円で、それぞれ購入したと認められる。乙三八は、その作成の経緯・目的などが不明であり、右認定を覆すものではない。

2  原告政子は、昭和三七年三月仙台一女高を卒業し、同年四月長谷柳絮学校に入学し、同学校を卒業して昭和三九年四月からは同学校に就職し、もらった給料の一部は原告ちよとの生活費に充てていたほか、残りは蓄えに回していた。そして、原告政子は、父誠治の勧めなどもあって、右蓄えに、和裁仕立ての内職やデパートの店員に対する出張授業の手当て、さらには退職金等をも加えたものを資金としたほか、誠治からの物心両面の援助を受けて、昭和四七年八月、那須に、原告政子の名義で、誠治に目録15の土地を代金四四〇万円で購入してもらったと認められる。

なお、原告政子本人の供述によれば、原告政子は、右当時三一歳であり、それまでに長谷柳絮学校に約八年間勤務しており、その間の給料はおおむね一か月一万円から三万円程度に徐々に昇給していったと認められるから、原告政子が右代金四四〇万円の全部を一部は現金で残金は融資によって賄ったと認定することについては不自然・不合理のそしりを免れないが、乙一三1ないし7、二七1、2によれば、誠治から右売買契約の前後に代金の一部については金銭的援助を受けたと認めるのが相当であり、その援助の金額は、相続時の評価にして、三〇〇万円程度であったと推認することができる。

3  目録10の建物は、昭和四〇年九月に新築され、昭和五四年八月原告ちよの名義で所有権保存登記が経由され、昭和五五年八月に原告政子に贈与を原因として所有権移転登記が経由され、その新築時以降現在に至るまで原告両名の住居として排他的に使用されてきたものであり、右新築のころ、誠治から原告ちよに対し贈与されたと認められる。

三  誠治による生前贈与について

1  次の事実は、当事者間に争いがない。

誠治は、〈1〉目録1、3、6の各不動産については、昭和五三年一〇月一六日被告隆を除くその余の被告ら三名に対し贈与し、同月二六日所有権移転登記を経由し、〈2〉目録4の不動産については、右〈1〉の贈与と同じ同月一六日被告隆に対し贈与し、同月二一日所有権移転登記を経由し、そして、〈3〉目録2、5の各不動産については、昭和五四年一月一六日被告ら四名に対し贈与し(被告らの持分はそれぞれ四分の一ずつ)、同月二二日所有権移転登記を経由した。

2  そこで、誠治及び被告らが右の贈与時において当該贈与が原告らの遺留分を侵害することを知っていたか否かについて検討する。

(一) 既に確定した前記事実のほか、原告政子及び被告隆の各本人の供述(信用し得る部分)及び弁論の全趣旨によれば、誠治は、戦後頻繁に不動産を買い求めたり、その一部を売却しており、その不動産を中心とする資産は、かなり激しく増減し、長期的には増加している状況にあったうえ、右1の〈1〉〈2〉の贈与は、目録1、3、4、6の不動産(相続時の時価にして八九八五万六〇〇〇円)についてされたもので、右贈与がされても、なお、誠治の資産として、目録2、5、7、8、9の不動産(相続時の時価にして九三八〇万八〇〇〇円)が残存していることを認めることができ、右事実に照らすならば、贈与をした誠治及び贈与を受けた被告ら(右〈1〉の贈与については親権者である被告隆と被告恭子夫婦)が右贈与によって原告らの遺留分を侵害するものであることを知らなかったとする被告隆本人の供述を排斥することは困難であり、ほかに右事実を認めるに足りる的確な証拠はない。なお、右〈1〉〈2〉の贈与が右〈3〉の贈与と一体不可分の意思決定のもとに行われたとみる状況にあるならば、後出の〈3〉の贈与の場合と同様な認定も不可能でないとはいえなくもないが、そのような状況を認めるべき証拠はない。

(二) しかしながら、右〈3〉の贈与は、さらに、目録2、5の不動産(相続時の時価にして七一八七万九〇〇〇円)についてされたもので、誠治の資産としては、もはや目録7、8、9の不動産(相続時の時価にして二一九二万九〇〇〇円)しか残存しておらず、右当時、誠治の資産がなお若干将来増加し得る状況にあったとしても、右のような不動産についての処分状況によれば、誠治及び被告らは、右〈3〉の贈与によって、原告らの遺留分を侵害することになることを知っていたものと推認するのが相当である。

四  遺留分算定の基礎となる財産

まず、鑑定の結果によれば、目録1ないし14の不動産の価格については、相続時及び平成四年四月一〇日の両時点における適正な価格は、別表記載のとおりであることが認められる。また、鑑定から除外された目録15の土地の価格については、昭和四七年に代金四四〇万円で購入されたこと、その他弁論の全趣旨によれば、相続時における適正な価格は、やや控え目に見積もり、六〇〇万円であると認めることができる。

そうすると、遺留分算定の基礎となる財産は、次のとおりであり、その合計金額は一億二四〇三万九〇〇〇円となる。

1  誠治が被告らに贈与した目録2、5の土地 七一八七万九〇〇〇円

2  相続開始時に残存した目録7ないし9の土地 二一九二万九〇〇〇円

3  相続人らの特別受益 三〇二三万一〇〇〇円

(一) 原告ちよ 一七五万四〇〇〇円

(1) 誠治は、前判示のように、原告ちよに対し目録10の建物を贈与しており、右の贈与は特別受益に当たるということができる。したがって、右建物の相続時における時価一七五万四〇〇〇円が原告ちよの特別受益である。

(2) 被告らは、右のほか、誠治がその生前原告ちよに対し、〈1〉宝石、着物、バック類、〈2〉象牙、仏壇、箪す等を贈与したと主張するが、乙四一、被告隆本人の供述等の証拠によって、右主張にそう物品の一部が原告ちよに対し贈与されたことが認められるとしても、その価額が被告らの主張にそうような高価なものであることについては、これを認めるに足りる的確な証拠はない。

(二) 原告政子 三〇〇万円

(1) 被告らは、誠治がその生前原告政子に対し、〈1〉宝石、着物等、〈2〉象牙、仏壇、箪す等を贈与したと主張するが、前同様証拠上右主張にそう物品の一部が原告政子に対し贈与されたことが認められるとしても、その価額が被告らの主張にそうような高価なものであることについては、これを認めるに足りる的確な証拠はない。

(2) さらに、被告らは、原告政子が誠治から長谷柳絮学校の授業料及び教材費として五〇万円の援助を受けていて、かつ、和裁学校は特に教材費が高いから、右は特別受益であると主張するが、原告政子が右のような金額の援助を受けたことを認めるに足りる証拠はない(仮に授業料及び教材費がその半額程度であったとしたら、通常必要とされる程度のものであり、特別受益であるとはいえないであろう。)。

(3) しかしながら、原告政子は、前判示のように、目録15の土地を購入するについて、誠治から、相続時の評価にして三〇〇万円の援助をうけているから、右の援助は特別受益になることは明らかである。

(三) 被告隆の特別受益 二五四七万七〇〇〇円

(1) 被告隆は、前述のとおり、目録4の不動産について、誠治から生前贈与を受けているから、その相続時における時価二四四一万七〇〇〇円が特別受益であるというべきである。なお、目録1、3、6の不動産については、受益者は、被告隆の相続人ではあっても、相続人以外の者であるから、特別受益とならないことはいうまでもない(一定の範囲の間接受益者を受益者とする見解は採用することができない。)。

(2) 大学教育

被告隆本人の供述並びに弁論の全趣旨によれば、被告隆は、仙台二高を卒業後、家計が苦しかったため、一時就職し家計を助けたが、昭和三五年四月新潟大学医学部に入学し、昭和四一年三月に卒業したが、誠治から大学教育費用として贈与を受けた額は、一年につき六万円、合計三六万円であったことを認めることができ、これを超えて贈与されたことを認めるに足りる証拠はない。右程度の教育費用は、本来通常必要なものといえなくもないが、他の妹弟の受けた援助に比較すると、特別受益に該当するものといわざるを得ない。

なお、乙二九、被告隆本人の供述、並びに弁論の全趣旨によれば、顕微鏡は隆が就職後自分で購入したものであり、タイプライターやテープレコーダーも、被告隆が就職した後自分で購入したものであることを認めることができるから、いずれも特別受益にはなり得ない。

(3) 結婚費用

被告隆本人の供述並びに弁論の全趣旨によれば、被告隆は、誠治から、結婚披露宴費用のうち祝儀代を引いた残額二〇万円の援助を受けていることを認めることができる。右金額を超えて被告隆が結婚費用について誠治から援助を受けたことを認めるに足りる信用し得る証拠はない。右程度の援助は、本来通常必要なものであるが、他の妹弟が結婚に伴う援助を受けていないことを考えると、特別受益に該当するものといわざるを得ない。

(4) 医院開業費用

乙二六の1、2、三〇、三一の1、2、被告隆本人の供述、並びに弁論の全趣旨によれば、被告隆は、誠治から、医院開業に際して、塀の一部とその基礎代五〇万円の援助を受けているが、その他は、被告隆が自ら負担して支払ったものであることを認めることができる。

なお、原告らは、誠治が被告隆に代わって多額の設計料を奥田建設に対し支払ったと主張するが、乙三七1、2、並びに弁論の全趣旨によれば、奥田建設は、誠治から設計料を受領したことのないことを認めることができる。

五  侵害された遺留分

1  誠治が死亡したことにより相続人らが具体的に相続した相続財産の価額については、前項記載の2の二一九二万九〇〇〇円及び3の三〇二三万一〇〇〇円の合計五二一六万円であり、原告ちよはその二分の一である二六〇八万円、原告政子はその四分の一である一三〇四万円をそれぞれ具体的に相続したということができ、他方、被告隆は同じく四分の一である一三〇四万円のみを本来相続している筋合いである。

しかるに、被告隆は、前述のとおり、相続分を超える前記特別受益を受けているので、新たに相続分を受けることができないから、原告ちよの相続分は、右具体的な相続分二六〇八万円から、被告隆の本来の相続分を超える一二四三万七〇〇〇円(被告隆の特別受益額二五四七万七〇〇〇万円から同被告の本来の相続分一三〇四万円を差し引いた金額)の三分の二である八二九万一三三三円を差し引いた一七七八万八六六七円となり、原告政子の相続分は、右具体的な相続分一三〇四万円から、被告隆の本来の相続分を超える一二四三万七〇〇〇円(前同)の三分の一である四一四万五六六七円を差し引いた八八九万四三三三円となる。

2  遺留分算定の基礎となる財産は、合計一億二四〇三万九〇〇〇円であるから、原告ちよの遺留分はその四分の一である三一〇〇万九七五〇円、原告政子の遺留分はその八分の一である一五五〇万四八七五円となる。

3  したがって、原告ちよが侵害された遺留分は、右遺留分三一〇〇万九七五〇円から具体的な相続分一七七八万八六六七円と特別受益の一七五万四〇〇〇円との合計一九五四万二六六七円を差し引いた一一四六万七〇八三円となり、原告政子が侵害された遺留分は、右遺留分一五五〇万四八七五円から具体的な相続分八八九万四三三三円と特別受益の三〇〇万円との合計一一八九万四三三三円を差し引いた三六一万〇五四二円となる。

六  遺留分減殺の対象となる不動産

前判示から明らかなとおり、遺留分減殺をすべき不動産は目録2、5の各不動産であるところ、右不動産に対する贈与は、同時に行われているから、割合減殺となり、原告らの侵害された遺留分を目録2、5の不動産にその価格比によって割り振ると、次のとおりとなる。

1  原告ちよについて

原告ちよの被侵害遺留分一一四六万七〇八三円を目録2、5の不動産の価格比(目録2の土地の価格は三四五八万九〇〇〇円、目録5の土地の価格は三七二九万円)で割り振ると、目録2の不動産につき五五一万八〇九二円、目録5の不動産につき五九四万八九九一円となる。

2  原告政子について

原告政子の被侵害遺留分三六一万〇五四二円を右同様に目録2、5の不動産の価格比で割り振ると、目録2の不動産につき一七三万七四三四円、目録5の不動産につき一八七万三一〇八円となる。

七  持分一部移転登記を求める持分

そこで、これを各被告の持分(四名が各四分の一の持分)に応じて割り振った場合、各原告が各不動産に対して有する前記割り当て分を当該不動産の価格に四(共有者の数)を乗じて得られた金額で除して得られた割合が、各原告が各被告に対し遺留分減殺請求権行使に基づいて取得すべき持分ということになる。

したがって、各原告が各被告に対して持分一部移転登記を求める持分は、原告ちよについては、目録2の不動産につき一億三八三五万六〇〇〇分の五五一万八〇九二円となり、目録5の不動産につき一億四九一六万分の五九四万八九九一円となり、原告政子については、目録2の不動産につき一億三八三五万六〇〇〇分の一七三万七四三四となり、目録5の不動産につき一億四九一六万分の一八七万三一〇八円となる。

八  遺留分減殺請求権の行使

原告らは、被告らに対し、昭和六三年七月七日、被告らが原告らの遺留分を侵害したとして減殺請求権を行使する旨の意思表示をしたことについては、被告らは、これを明らかに争わないから、自白したものとみなされる。

九  寄与分の主張

被告らは、被告隆が誠治に対して生前一六〇〇万円もの生活援助と立替金を出資したほか、昭和五〇年ころ誠治の土地に一五〇万円を出資して造成したり、さらには、誠治の土地の固定資産税を支払うなど、誠治の財産の維持に多大の貢献をし、特別の寄与をしているとして、原告らの遺留分減殺請求権の行使に対し、その効果の一部又は全部が滅却すべきであると主張するが、独自の見解に基づく主張であって、論旨は、採用することができない。

一〇 よって、原告らの遺留分減殺請求権の行使に基づく本訴請求は、右に判示する持分の移転登記を求める限度で理由があり、認容されるべきであるが、その余の部分は理由がなく、棄却を免れない。

第二 反訴請求に対する判断

被告隆は、目録11ないし14の各土地はいずれも誠治がその資金で購入した土地であると主張するが、本訴請求において既に認定判断したように、右各土地は、原告ちよが購入した原告ちよの所有する土地であることが認められるから、右各土地が誠治の所有する土地であることを前提とする被告隆の反訴請求は、その余の判断をするまでもなく、理由がなく、棄却を免れない。

(別紙)

物件目録

1 仙台市青葉区下愛子字二本松一番

原野 一〇五八平方メートル

2 同所二番

宅地 九二七・三一平方メートル

3 同所三番一

原野 一一〇一平方メートル

4 同所二四番七

宅地 六一五・〇三平方メートル

5 同所二五番二

雑種地 一一〇〇平方メートル

6 仙台市青葉区下愛子字清水端九番二

雑種地 四七平方メートル

7 仙台市青葉区下愛子字本木前四五番一

田 二六二平方メートル

8 仙台市青葉区八幡六丁目四二番七〇

山林 二三一平方メートル

9 同所四二番一二〇

山林 九九八平方メートル

10 仙台市青葉区下愛子二本松二番地一

家屋番号 二番一

木造亜鉛メッキ鋼板葺 平家建 居宅

床面積 九七・〇四平方メートル

付属建物

コンクリートブロック造 陸屋根 平家建 倉庫

床面積 四四・一三平方メートル

11 仙台市青葉区下愛子字本木前四四番

田 一三九九平方メートル

12 同所四八番

田 一一二平方メートル

13 仙台市青葉区錦ケ丘八三番一

山林 三〇九二平方メートル

14 同所八三番二

山林 三四〇六平方メートル

15 那須郡那須町大字高久乙字道上二二七一番八一

山林 四〇〇平方メートル

別表

〈省略〉

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